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Mr. Bill Collings

私達の親愛なる友人、そして指導者であるビル・コリングスが7月14日永眠しました。
彼は40年以上に亘りColling Guitarsの創造の要として能力を発揮しました。
彼の独創的かつ先天性の理解力は物事がどのように機能し、そして、よりうまく進んでいくかを実現し、この業界の基準というものを設定し、その過程の中で多 くの人生に触れました。彼のスキルと創造を超える感性は木材だけに限らず、ホットロッドへも情熱と共に注がれました。ビルにとって美しいフォルムと機能性 を兼ね備えたものをデザインする、と言う事がもっとも重要なことでした。そしておそらく、彼自身が世界に美しい楽器を創り出す事が出来ると言うその優れた 能力だけではなく、その技術を人に教え、彼らをインスパイアしていくことの能力にとても優れていました。彼は高品質であることがまず第1であるという文化 を確立し、彼の生涯の作業はこれからの遺産として引き継がれていくでしょう。彼は多くの人に愛され, 彼がいないことに多くの人は悲しむと思います。 私たちの心は彼の家族と共にあります。

William R. Collings
8/9/1948 – 7/14/2017

Collings Story

1970 年代中頃、ビル・コリングスはオハイオからテキサスへと移住する。当時メディカルスクールで学ぶことよりもギターとエンジアニアリングに興味を持ってい た。機械工場で職に就き、自宅のキッチンテーブルと数個の工具からビル・コリングスのギター作りが始まった。エンジニアの家系出身であるビル・コリングス は、クラフトマンとしての経験と遺伝的に持つ自然と沸き立つ興味心により、彼の技術は素早く昇華していった。やがて彼の制作したギターは、地元のミュージ シャン、リック・ゴードンやライル・ラベットの手に届くこととなり、その後テキサスのプレイヤー達がビル・コリングスのカスタムギターを求めるようになっ ていった。
50本程のギターとバンジョーをヒューストンで制作したのち、ビルはルシアーとしての道をより追求するため南カリフォルニアへと向かった。道中彼はオース ティンのルシアーであるトム・エリスとマイク・スティーブンスの手助けをすることになる。同じ志を持った彼らと出会い、ビルはトムの工房のあるオースティ ンに留まることを決意し、彼と工房をシェアすることとなる。80 年代半ばには、ビルはフラットトップとアーチトップを彼自身の小さな工房で作るようになっていた。傑出したクオリティと全ディテールに対する入念な作業へ の評判は瞬く間に広まった。1989年、ビルは1000平方フィートのスペースを借り、2人のヘルパーを雇った。同年、ヴィンテージギター・コレクター& 出品者としても有名でナッシュビルにあるグルーンギターのオーナー・ジョージ・グルーンがビルにグルーンギターのカスタム品を24本作って欲しいと依頼し た。このオファーはオースティンのルシアーが国際的に知れ渡る機会となった。
 
1992 年、ビルはオースティン郊外に3,200平方フィートの工房を手に入れた。この頃にはピート・タウンゼントやジョニ・ミッチェル、ブライアン・メイなどが コリングスギターを使用していた。工房は3倍の広さとなり、従業員も50人の規模となった。2005年には27,000平方フィートの工房を建て、工房内 にはCNCを採用し、加工のプロセスと部品生産の一貫性、正確性、そして安全性を実現した。
ビジネスの成功、そして作業の効率性が整った後も変わらずに彼が取り組み続けた一つのことが「もっとも素晴らしい弦楽器を作ること」である。ビルは、夢中 になることをエネルギーとし、数々のバラエティに富んだ楽器を作り出していった。間もなくしてアコースティックギターだけではなく、1999年にはギター のようなマンドリンを作り出し、瞬く間に業界内のニュー・スタンダードとして位置することとなる。2006年にはトップ材を削り出すことへの興味がエレキ ギター制作へと彼を導き、並外れたクラフトマンシップとトーンにプレイヤー達も瞬時に魅了されることとなる。
2009年には他のハイエンドアコースティックギターメーカー達にも定番となっていた、コンサートとテナーウクレレを発表しプロ、アマ問わず大ヒットとなる。
 
2014年後半、コリングスは大恐慌時代に存在した素晴らしいギターのデザイン、、キャラクター、トーンにインスパイアされた新ブランド「Waterloo Guitar」をスタートした。
 
この40年ものあいだ、コリングスギターは素晴らしいハンドメイド・ギターを求めるミュージシャン達に選ばれ続けている。

あなたにはコリングスを試す義務がある。

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